いや、それは違う

日本語は決して曖昧な言語ではない。

日本語は一つの意味を表現するのに基本的に一つの単語で足りる。

対して英語の単語はおおまかなイメージを表現する程度のものなので、 固有名詞以外は物凄く曖昧で大雑把だ。 なので日本語よりよほど曖昧で不完全な言語になるはずだ。

[追記]英語の曖昧性を補填する

では英語で曖昧でない文章を作る為にどうするか?

  • 主語述語の配置をきっちり守る
  • 曖昧な名詞は修飾子を足して具体的にしていく
  • あえて文を崩す事により、相手に違和感を持たせる→質問文と解釈する

細かな文法は省くが、だいたいこんな感じ。 配置と修飾で具体的な文章を作っていくわけだ。

対する日本語は倒置法があるように、主語や述語の順番を混ぜこぜにしてもあまり違和感はない。 精々エキゾチックに聞こえるくらいのものだ。

何故そんな日本語が曖昧な言語扱いされてるのか

以前そのことが書いてあるサイトがどっかにあったような…見つからない。 代わりに探していたら非常に参考になるサイトが見つかった

正確な曖昧性

こういう話を見かけた。「最近見かけませんでしたが、どうしたんですか。」と聞かれ、「三日間旅行していました。」と答えたら、変だと指摘されたアメリカ人がいるそうだ。そしてその指摘をした日本人は、そういう場合は「三日ほど旅行していました。」と答えるべきだと言ったそうだ。

ふむふむ、何故ぼかすの?

日本語では焦点かどうかが文法的に重要だ。 例えば、「私は高杉です。」と「私が高杉です。」を比べると、後者は主語に「が」が付いている。これは「私」が焦点だからだ。つまり、「誰が高杉さんですか。」という質問に対して、「私が高杉です。」というように、「私」の部分が焦点だから「が」を使うのだ。逆に「あなたは誰ですか。」という質問には、「私は高杉です。」と答える。「高杉」が焦点で、「私」はすでに出てきた旧情報(これを主題という)だから「は」が付くのだ。

焦点が重要なんだ。 たしかに…日本語は1単語が重い意味を持つがゆえに、 焦点が分からない場合、全ての発言を気を張り続けて覚える必要があるわけか。

最初の質問に戻ろう。「最近見かけませんでしたが、どうしたんですか。」と聞かれた場合、当然何をしていたかが焦点になる。それ以外の情報は単なる付け足しである。だから答は「旅行していました。」で十分だ。 ここで語彙の助けを得れば良いのだ。期間に「ほど」を付けると、曖昧な感じがするのでそれが重要な情報には思えなくなる。「三日ほど旅行していました。」という文は「三日ほど」が動詞の直前に来ているが、「ほど」が付いているため重要には見えないのでそれが焦点と解釈されることはない。

なるほど〜! 焦点を分かりやすくし、それ以外の箇所をあえて曖昧にするのか。 そうすることで、伝えたい大事な単語のやり取りを聞き逃す事がなくなるわけだ。

非常に参考になった。